博多織とは

2013-04-09
博多織とは

博多織の起源

770年の歴史と伝統を受け継ぐ伝統的工芸品「博多織」

 


鎌倉時代、嘉禎元年(1235年)33歳の満田彌三右衛門(みつたやざえもん)は、圓爾辯圓(えんにべんえん)(勅諡聖一国師(ちょくししょういちこくし))と共に謝太郎國明(しゃたろうこくめい)の船で、南宋(中国)明州へ向け、博多の津を出発します。

宋に6年間滞在して、圓爾辯圓は禅の修行をし、
満田彌三右衛門は織物、朱、箔、素麺、麝香丸の5つの製法を修得して、仁治(にんじゅ)2年(1241年)博多の津に帰ります。

博多に戻った彌三右衛門は、これらの製法を博多の人々に伝え、その中の織物技法だけは家伝とし、広東織と称して独特の技法を加えながら代々伝えていきました。

さらにその約250年後、彌三右衛門の子孫、満田彦三郎が中国・広東へ渡り、織物の技法を研究して帰ったと伝えられており、その技法を彦三郎は竹若藤兵衛に伝え、共に改良工夫して、琥珀織のように地質厚く、浮線紋もあり柳条もあるという織物を作り出しました。

そしてその織物が作られたこの土地、博多の地名をとって、「覇家台織」(はかたおり)すなわち博多織と名づけられたと伝えられています。
萬松山(ばんしょうざん)勅賜承天禅寺(ちょくしじょうてんぜんじ)(博多織との繋がり)
承天禅寺は鎌倉時代、博多織の始祖 満田弥三右衛門と聖一国師が中国宋に渡り、6年間修行をして博多に戻った年に聖一国師が開山した禅寺です。

以来、博多織 縁の寺として今日に至っており、毎年博多織功労者の慰霊祭をはじめ、ここ数年は博多織求評会が行われています。

 

2013-04-09
博多献上

博多献上

繊細、華美で独特の張りがあって締めやすい博多織

 

「献上」の名称由来

慶長5年(1600年)黒田長政が筑前を領有するようになってからは、幕府への献上品として博多織を選び、毎年3月に帯地十筋と生絹三疋を献上するようになりました。

その模様は仏具の「独鈷」と「華皿」との結合紋様と中間に縞を配した定格に固定されていました。

それ以前は単に独鈷、華皿浮け柄といわれていたものが、それ以来「献上」と呼称されるようになったのです。

独鈷と華皿華皿

博多織独鈷(どっこ)

密教法具の一つ。真言宗では、煩悩を破砕し、菩薩心を表わす金属製の仏具であり、修法に用いられます。
細長く手に握れるほどの大きさで、中程がくびれ両端がとがっています。

独鈷を図案化した模様↑独鈷を図案化した模様華皿(はなざら)元来は仏具の一種。仏の供養をするとき、花を散布するのに用いられる器です。

華皿を図案化した模様
↑華皿を図案化した模様縞(しま)献上の模様の「縞」には両子持(りょうこもち)と中子持(なかこもち)を使います。

両子持(孝行縞)

↑両子持(孝行縞)

中子持(親子縞)

↑中子持(親子縞)

 

2013-04-09
博多織求評会

博多織工業組合最大の年中行事「博多織求評会」

 

博多織工業組合の最大の年中行事として毎年開催される博多織求評会(新作発表会)には、内閣総理大臣賞をはじめ、文部科学大臣賞、経済産業大臣賞など、多くの賞がつけられており、平成23年で109回の回数を重ね、五十有余年の歴史と経歴を持っています。

審査員は、全国の織物集散地の方や、各界で活躍中の文化人の方々を中心とし、厳正なる審査のもと、選ばれた作品に賞が贈られます。

審査が終わり、全ての賞が決まった後は一般の方にも公開され、毎年多くの人に博多織をご覧いただいています。

第106回博多織求評会